いじめに勝つってどういうことだろう?
いじめに負けないってどういうことだろう?
ずっと考えてきた。
たどり着いた答えは、自分の中にあると気付いた。
向き合うべきは自分なのだと。
いかに、【動じない心を育てていけるか】だと確信した。
いじめられてるのに向き合うのは自分??
いじめられてるのに「「自分に向き合う」」ってどういうこと?
いじめられてるのに向き合うのは、いじめている側じゃないの?
って思うかもしれませんね。でも、違った!!
向き合うべきは、自分自身だったのです。
いじめる側を変えようとすることは、ものすごい労力が必要になる。
もうすでに、いじめられ続けて心がボロボロになっている場合、果たして
あなた自身に相手を変える迄の余力はあるだろうか?
そう「「ない」」んです
だったら今ある余力で自分にできること,たどり着いた答えが
[[いかに動じない心を育てていけるか]]
がポイントだと感じとりました。
動じない心とは?
感情に振り回されないことです。
勘違いしないで下さい
- 感情をおしコロすことではない
- 何も感じないように閉ざすことではない
決して、感情をなくせといっているわけではありませんので注意!
感情に振り回されないとは?
いちいち「感情を浮き沈みさせない」ことです。
いじめる側に、何かを言われては
- 落ち込む
- 悲しくなったり
- 感情を逆なでされて怒りがわいてきたり
- 心をふみつけられたり
するのだけど、感情を一定に保つことが必要になります。
心を育てること
自分を信じる事
自分を信じぬくことができるか
の問題になってくることにたどりついた。
しかしながら、「「自分を信じる」」って難しい。いじめられ続けていると
自分で自分すら信じられなくなって、人の言うことに、いちいち反応して
しまう。
だから感情が乱れやすいし、一定に保つことができなくなってしまうのさ。
著者自身も「自分を信じ、信じぬく」というところが完全に抜け落ちていました。
それでも、少しずつ心の鍛錬を積むことで
- だんだん信じられるようになっていく。
- まえ向きになっていける。
自身,長い時間がかかりすぎたけど、前の自分を思い出すと本当に
心が強くなったなぁと実感できます。
前は、自分自身の守り方を知らなかったから、苦しかった。
あの頃を思い出すと今のほうが断然「「心が楽」」になってる。
心が育つと少しずつ、いじめる側の行為で極度に感情が浮き沈み
することが少なくなっていく(って言ってるけど、私もまだまだ修行の身
やっぱりいじめられ続けるってキツイ。ってのが本音)
自分の心を成長させていくことで、心のダメージをだいぶ減らせるぞ。
自分の心は育てていけるし、変わっていけるからね。
~~最後に~~
自分は自分。相手は相手と切り離して考えるようにしてみよう。
切り離して考えれるようになると本当に心が楽になっていくよ。
時間はかかるかもしれないけど、今から動じない心を作る訓練を始めてみ
てください。
心をコツコツ育てて行くことで、【いじめに負けない真実の強さ】を手に入れられるんだ。
もちろん、行動を起こしたことで、ピタッといじめが終われば それに越したことはない。
けれども、簡単には終わらないからこそ
【 自分の心を育てる 】ことが本当の意味で【 いじめに勝つ! 】
っていうことなんじゃないかな??
